再生の祈りを託された仮面土偶
2001628日 杉山 隆

 顔が逆三角形の仮面に覆われた縄文土偶は、女性器がはっきりかたどられて、凸凹まで写実的です。女神の肌は、実に丁寧に磨かれて、いかに大切にされていたかがわかります。妊娠した女神は、生命を生み出す強さと、愛されるにふさわしい威厳を放射しております。文様の呪術的緊張感は、生きることへの畏敬とか祈りの姿を焼き付けます。たるのように太い足でどっしりと大地に立つ仮面土偶は、シャーマンのようなシンボル、守り神であったのでしょうか?

 仮面土偶は、2000823日長野県茅野市の中ッ原遺跡から出土。中ッ原遺跡は、4,500年〜3,500年前の縄文時代中期前半から後期前半の集落跡。集落跡の中央部にある墓域の土抗の底から、横たわった状態で発見、安置されるように埋まっていた、ようです。そして、中ッ原遺跡は、八ケ岳山ろくの集落を統括するセンター的な祭祀の場だったと推測されております。

 縄文中期の終わりごろまでは、円環をなすムラの中心の広場は、祭りと同時に野辺送りが行われる場所でした。そして、その周りに竪穴住居が点在してサークルをなし(居住域)、さらにその外側に捨て場や生産の場があるという同心円を描く環状集落が一般的でした。

 4,000年から4,500年前の縄文後期になると、ちょうど三内丸山遺跡が暮らしの空間としての幕を閉じる頃に、東北の北部に環状列石が点々と現れます。環状列石は、葬送と祭祀が行われる場所です。

 環状集落が壊れて、環状列石がなぜ登場したのでしょうか?気候変動で寒冷となり、生活が厳しくなった、大集落では食料不足に巻き込まれやすい、だから家族単位で分散していかざるを得ない。自分たちの集落の中心広場に死者たちを祀っていた、その形が壊れていく。それまで培ってきた人と人との絆や部族の長い時間の連なりを、どのように確認できるのか?別れて暮らしてもつながっていくために、共同の絆の象徴・モニュメントとして環状列石のようなものを造って確認しあうことが必要となったのでしょう。精神構造の統合体としての環状列石です。

 縄文人たちが最初に行った祭りの姿を考えると、それはある意味では死者たちを送るという、その現場で行われたセレモニーが最大にして最初の祭りだったのではないでしょうか?そこで、人々は、死者たちをあの世に送る儀礼を行いながら、先祖との絆を確認する祭りとなる、そうして、さらにこれから生まれて育っていく子孫のために繁栄の祈りを捧げる、収穫祭なども行う、そういう最大の祭りだったのではないか、という気がします。いわば、葬送と祭祀の二元論です。

 秋田県鹿角市にある大湯環状列石は、野中堂と万座に所在する2つのストーンサークルを主体とする大規模な縄文時代後期の集落跡です。その万座環状列石の周囲には、4本柱と6本柱の掘立柱の建物が一巡していたことがわかりました。これらの建物は、高床式で屋根には茅(かや)が葺かれていました。色々な祀りや祈りが行われた建物だろう、と説明されております。4本柱の建物で誕生を祝い、6本柱の建物で葬送の儀式を行った、のかも知れません。そんなことを想像します。

 二元論といえば、軽石製岩偶です。頭に男があって、下に女性が表されている石製品です。鹿児島県垂水市のクヌギバル貝塚から出土した縄文時代後期末から晩期初頭の「人体表現」は、信仰や精神文化を伝えているようです。というのは、この岩偶は、生殖器を象徴的に表現しているからです。秋田県鷹巣町の藤株遺跡の石棒は、曲がり具合とか玉まで本当にリアルです。日本で一番立派な男性器だろうと思います。もっとも、大きさからいくと大阪や兵庫あたりの墓域に負けます。男のやつがズドーンと立っていて、女性のくぼんだ石が墓域に配置されております。当時の墓域は、死者の場所だけでなく、また生まれ変わって元気を与えてくれる場所なのだという、そういう強い意識を縄文人は持っていたと考えられます。

 上述の大湯の環状列石は、ブナ森の台地を切り開いて、9キロ離れた河原から特徴のある石ばかりを集めて、外帯と内帯の二重のサークルをもって造られております。野中堂と万座のストーンサークルは90メートルほど離れ、それぞれの中心の延長上に、夏至の太陽が沈みます。

 そして、二つのストーンサークルの中心から西北西の方位、外帯と内帯からはずれた場所に、「日時計」と呼ばれている組石があります。東西南北の方位に丸い石が置かれて、あとは石を敷き詰めている、その中心に1メートルほどの石棒が立っています。時間を計るために使うことは出来そうにはありません。

 「ひじり」は、「聖」と書かれます。太陽の日を知る「日知り」、ファイアーの火を治める「火治り」という意味ならば、天体の運行を知る役割を持ったシャーマンが、日時計と呼ばれる特別な組石に納められているのでしょうか?

 こうも考えます。日時計の中心に立っている石は、「ファリックシンボル」だ。男の性器が天に向かって突き立っている、その形を想像します。つまり、石棒の果たした象徴的な役割は、生命の営みとか誕生にかかわるのです。ストーンサークルという死のモニュメントの中に石棒という生命の豊かさ、あるいは生命の甦りへの予感、が立っているのです。

 ところで、古事記に出てくるアメノウズメ(天宇受売)は、縄文の雰囲気をもつシャーマンです。太陽神(天照大御神)が天の岩戸に身を隠す、それで空が真っ暗になった、やおよろず八百万の神々が安(やす)の河原に集まって踊るわけです。その時の踊る代表者がアメノウズメです、それが胸もあらわに、腰紐垂れ下げて・・・。「裳緒忍垂於番登」、裳=スカート、緒=ヒモ、忍垂=ほどいて、於=ああ、という感嘆の声をあらわす、番登=ホト=大事なところ=女性器・・・・・・スカートのヒモをほどいて、大事なところまで見せて踊った、もはや恍惚の声を叫び振り絞りながら・・・・・・ストーンサークルの真中のくぼんだところで、縄文人がワァとやって、その中心に女性が踊っていた、ウケ(食べ物が入った桶)を踏み鳴らして・・・・・・大きな火をたき、太鼓の音に合わせて、いつまでも続く踊り・・・・・・祖霊祀がいつのまに、気がついたら収穫祭であった・・・。

 また、インドネシアのコドモ島の配石墓は、ストーンサークルの一種です。あの世に行って元気であるために、あんたにはちゃんと赤い血が流れているんだから、って「赤」を持たせる風習があります。また、スバン島の葬式では、子供が亡なったら埋葬します。埋めた子の上にスバン織物を敷いて、その上に女性が股を開いて座っている、亡くなった人がもう一回子宮に戻っていく、また生まれる、という「母胎回帰」を念じて・・・。翌日には石の蓋で埋めてしまいます(石蓋土抗墓)。

 福島市飯野町で出土した5,000年前の土器に人の形が貼り付けられています。土器そのものが女性の体と見ているのです。子どもの遺体、死産や生まれてまもなく死んだ子、そういう子供たちを土器の中に入れて、自分の家の周りに埋めます。再び母親の胎内に戻ってきて欲しいという願いを込めて・・・。

 女性器がはっきりかたどられた仮面土偶が子供を孕んでいる、その女神の肌は丁寧に磨かれて大切にされていた、妊娠したシャーマンは生命を生み出す強さと愛されるにふさわしい威厳を放射している、これらのことから、仮面土偶にどれだけ強く、再生の祈りが託されていたのかが、痛いほどわかるのです。愛の呼びかけ・原初的放射を、仮面土偶は行っているように確かに見えるのです。

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